TOMIYUKI KANEKO
金子富之
―中国研修旅行―
2004年と2006年の二回、大学のスケッチ旅行で中国に行く機会に恵まれました。色々な葛藤があり刺激されて制作する力が戻ってきました。妖怪や精霊、神仏といった目に見えない存在の平面造形における〝実体の無いものの具現化〟という進むべき方向が見えてきた時期でした。しかし今まで描いてきた風景をやめ不可視のものを描く方向に進路を変える事は勇気がいりました。
何か自分の可能性を広げられればと思い中国へと向かいました。到着した時は夜でしたがリアルな現実感が漂っていました。
何かを設定して儀礼を行う事は願望実現の良い手段だと思います。数年後気付いたのですが、何か目標を持って旅をする事は旅の行程が儀礼になりリアルな旅の経験、感動が現実を引き寄せる要素になるのではないと思いました。旅は行い方次第で大掛かりな呪術的な行為なのかもしれないと思いました。
良く〝中国4000年の歴史〟などと言われますが中国各地の遺構から歴史は6000年前にも遡るとされています。歴史深いこの大地で本当に自己の可能性を広げられるのでしょうか。人間は劇的に一瞬で変わるのではなく2~3年かけてじわじわと変わるのも変化だと思います。変化を促す切っ掛けやトリガーを期待して行動するのも興味深いと思います。
中国は世界四大文明の一つとされています。中国神話におけるその創造神は盤古真人(ばんこしんじん)と言う神で、天地創造以前の世界は原始の卵の内から現れ、混沌としたその卵の中身は天と地を分け隔てて大きさが九万里の巨人に成長しました。やがて死を迎えた巨人は、息は風に声は雷に、左目は太陽、右目は月のなり、体は山に、血は河に、肉は大地になり世界を形成したとされます。
中国の赤い卵は出産お祝いの時に使うらしいです。何か中国の神話と重なる所があるのかも知れません。様々な要素を内蔵した卵は大きい可能性を秘めていると言う事なのだと思います。それを生まれた赤ちゃんと重ねるのだと思います。
中央アジアのタリム盆地にあるタクラマカン砂漠。歩いていると砂塵と熱風の中に小さなトカゲがいます。世界最大のトカゲは2~3mのコモドオオトカゲですが、オーストラリアではメガラニアプリスカと言う更に巨大な5~7mのオオトカゲの化石が見つかっています。4万年前の怪物ですが、ほんの数百年前の骨も見つかったとの報告もあります。もしかしたらその様な大きなトカゲやワニと人間の戦いなどが龍やドラゴン退治伝説の元型になったのかも知れません。爬虫類と人間の関係は非常に深いものがあり、世界的に神話の広がりを最もみせる動物は蛇と言っても過言ではないと思います。
中国にも興味深い蛇神が存在します。女媧(じょか)と伏羲(ふっき)という交互に絡まった図像で表された蛇体の神です。女媧は土をこねて人間を造り、伏羲は人間に狩猟や漁労、牧畜と火を教えたと言います。また易も伏羲からもたらされたものとされます。女媧と伏羲の蛇体の交互に絡まった姿は人間のDNAの形を想起させ古人が自由な想像力の中で無意識に辿り着いた元型としての図像の一つなのだと思います。
このベゼクリク千仏洞内部には撮影禁止の蛇神のレリーフがありました。5~14世紀に遡る仏教石窟です。77の石窟があり、ヨーロッパ人、ペルシャ人、インド人、など様々な人種がブッダを囲んでいる珍しい壁画も存在すると言います。
ベゼクリク千仏洞内部の撮影禁止の蛇神のレリーフの覚描きです。何か胎児を思わせる様な形です。
様々な感情の飛び交う市場の雑踏を歩いていると、ポジティブ(統合)とネガティブ(分離)を考えさせられます。統合と分離の二元性、その光と闇は光だから良いとか闇だから悪いと言うものではないと思います。恐らくどちらとも生きる上で必要なもので、その二つを上空から見下ろせる様になった時、舞い上がったり、落ち込んだりせず受け流せるようになるのだと思います。
好きな事を続けていても、いずれ苦しくなる時もやってきます。それでも続けているとまた楽しくなり、交互に感情が巡るのだと思います。楽しいことも苦しいことも耐えていると人間には恒常性が働きそれが普通になってきます。刺激が普通になってしまう性質を人間が持っているのだったら生活や仕事の向上のために使うべきだと思います。今の自分のレベルより高い所をキープするのは辛いと思います。でもその辛さも慣れてしまいます。そうなればレベルも自然に無理なく上がると思います。恒常性が働き辛さに慣れるまでの苦痛は我慢するしかなさそうです。
大変そうに見えるトウモロコシの仕事も慣れてコツを覚えてしまえば楽しく作業できる事なのかも知れません。絵画制作も慣れてしまえば大きい作品も描けるのだと思います。もっと良い作品を望めば当然、苦痛も感じる制作になるでしょうが、楽しい事ばかりだと人間、変になると思います。
トルファンの交河故城。紀元前二百年頃に建てられ風雨に晒された城壁が多く残ります。左右が対称である芸術的な遺跡や建物は世界にたくさんあります。神秘家グルジェフは芸術を客観芸術と主観芸術に分けました。
客観芸術は建物で言うとピラミッドやアンコールワット、ボロブドゥール、タージマハルなど左右が対称のものが多いそうです。客観芸術は個人的な心情、エゴ的な要素で造っていない為か、シャーマンや僧などがインスピレーション受ける場などに機能的とされます。
主観芸術は個人的な心情の動きのあるもので作り手の気分によって変わりやすいものとされます。言わばエゴ的なもので、この場合内側にある蟠りの様なものを吐き出す表現においては良いのではと思います。
人の手が造り出したものだけでなく自然の造形物も圧巻です。地球は生きていて表面も内部も動いている様ですが、地球一つで一つの生命体と言うガイア仮説と言うものがあります。地球内にある山や海、動物や人間も一つの機能をもった臓器や細胞でそれぞれがそれぞれの役目を果たして地球の生命を維持していると言う考えです。ガイア仮説で言ったらこの地域はどんな機能を果たしているのでしょうか、想像が膨らみます。
西遊記の牛魔王の伝説で有名な火炎山。蜃気楼でゆらゆら見える褐色の岩肌が燃えている様に見える事からその名が着いたそうです。古神道に世界の大陸の雛形が日本列島に対応すると言う考え方があります。そうすると火炎山の辺りは日本の何県にあたるのでしょうか。ユーラシア大陸の真ん中ぐらいにあり暑いので埼玉県の熊谷でしょうか。
岩手県遠野市の卯子酉様(うねどりさま)と言う縁結びの赤い布が無数に結びつけられた場所がありますが、ここは統一感がなくカラフルな感じです。恐らく儀礼として思いを形にしたものだと思いますが、思いや念の集積した場所は歴史が古くなるにつれて自然と人々の中で意識を変容させる場所になっていく気がします。
宝頂山石窟の獅子。巨大なフォルムの質量が力強い存在感を放っています。巨大だと言う事はそれだけでパワーだと思います。例外は勿論あると思いますがサイズの大きい作品と小さい作品が並んだ時、大きい作品の方に目がいき、また迫力も出しやすく有利だと思います。それに技術力やコンセプト、精神性が合わさり作品の総合的な力になるのだと思います。
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宝頂山の石窟には石仏が沢山あります。スケッチやドローイングは様々なものを記録できる所が面白いと思います。過去に描いたものを見返すとその時の気分や思い情景が鮮やかに蘇って来ます。神智学の概念でアカシァ年代記と言う、全ての事象、想念、感情が記録されている場所があると言うものがありますが、スケッチブックやドローイングノートを人生と共に描き続けられたら正に作家自身の創作世界におけるアカシャ年代記になると思います。
この地では無数の神が創出され民間信仰により多彩な土俗神、郷土神が尊崇されて、仏や眷属達の表情もユニークです。中国の神々の系譜は元始天王(盤古)を頂点としたヒエラルキーがあり膨大な数の神々が存在します。もしかしたら神々の数の方が人間の人口よりも多いかもと想像してしまいます。
岩穴から現れる巨大な猫の様な神獣。神獣と言うものが精神的に存在するとしたら、神様のお使いや門番の様な霊的存在なのだと思います。その時代の芸術家達が自分の感じた神獣を絵画や彫刻にしてきました。実際は細かいディテールまでは合っていないかも知れませんが、そういった雰囲気、存在感、ダイナニズムを察知して表現しているのだと思います。芸術家もゾーンに入った時、霊的なものの媒体となるシャーマン的な要素を持っていて、その能力はどちらかと言うと女性の方が強い気がします。
北山石窟、孔雀明王像。孔雀明王は明王の中で唯一温和で優美な表情をしています。修験道の開祖、役小角が体得したという伝説があり孔雀は毒蛇を食べる事から諸毒や災難を取り除く明王として信仰を集めました。
イラク北部にダーシンと言う民族が存在します。彼らが信仰するイエジデイ教の神話に「天上の神々に追放され七千年後、彼の流す贖罪の涙が七つの瓶を満たした時、地獄から解き放たれ楽園に帰る事ができた。その後一切の魔を滅ぼす力と慈愛の相を持つ彼は孔雀王の名を与えられ守護神になった。」と言うエピソードがあります。孔雀王とは孔雀天使(メレックタウス)の事であります。良く神話構造として他国の神が敵対する自国にとっての宗教の正当性を守る為、悪魔や魔王として変化して語られる事がありますが、エピソードも似ている事からキリスト教にとっての堕天使ルシファーが孔雀天使の可能性があります。
滝や川で思い描く最も代表的な霊的存在は龍蛇神です。中国は龍の本場ですから古い巨大な龍が山や川の地主神の様に横たわっている気がします。龍は人を導いて頂ける有難い存在との事ですが、荒々しい性格なのでその人間の成長のためなら厳しい試練も与えるそうです。そしてその人間が成長出来たら龍も嬉しい様です。夢物語の様ですがもし本当なら大変な事です。私は龍を幻視した事も無く解りませんが、人間が善をなそうが悪をなそうがあまり意に介さない崇高な役割を持たれている存在の様な印象も受けます。
世界自然遺産の九寨溝。女神が悪魔と戦った時、落とした鏡が割れて造られたとされる湖です。中国と言う精神風土からの想起があったとしたら何を得られたのでしょうか。太陽の様に無償で降り注ぐものもありますが、基本自然や宇宙からただで貰うことはできません。こちらから初めに何かを差し出さないと返って来ることは無いと思います。しかし人は行動するだけで何かを与え何かを得て因果法則の中にいるようです。
絵画について考え行動すると言う因果応報の結果、気が付いた事がありました。どう絵を描くのかと宇宙か神様か仏様か解りませんが、そう言った存在に質問して答えて頂くほど自分は偉くなく小さな存在であり、しかしそれでも答えは出したいので現時点ではこう思いましたと、20代30代40代…と寿命が来るまでそれぞれの年齢ごとに絵で答えていくしかないのではと思いました。おそらく脳が生命活動を行っている以上は永遠に答えは出ないのだと思います。