TOMIYUKI KANEKO
金子富之
―虎舞と鬼首温泉―
神獣の中で獣王の双璧と言えば、獅子と虎だと思います。森羅万象、日月陰陽二極がある様に獅子舞や唐獅子の様な華やかな〝陽〟のイメージの獅子に比べると虎は少し存在感が淡く、やや隠れ気味の〝陰〟の印象があります。
夜にひっそりと輝く月と曼荼羅の様な光を拡散する太陽。陰陽二極はあらゆるものに当てはめられます。
加美町の虎舞の面。
虎は獅子(ライオン)の様に群れで狩りをせず単独行動で茂みに身を隠し獲物を仕留めます。一見、暗殺の様な陰のイメージがありますが、獅子に獅子舞がある様に虎にも虎舞という華やかな伝統芸能があります。
宮城県加美町に虎舞が伝承されております。他には神奈川県横須賀、岩手県釜石、青森県八戸市にも伝わっており海外ではインドでも行われておりタイガーダンスとして認知されております。
虎舞が行われる加美町近隣の鬼首温泉(おにこうべおんせん)に宿をとり取材を始めました。鬼首温泉は直径13㎞の鬼首カルデラの中にあり、地熱が非常に高い地域だと言う事です。赤青一対の鬼の造形物が面白く場の雰囲気を和ませます。〝角々一本、赤鬼どん、角々二本、青鬼どん…〟の童謡を地で行きます。この橋が鬼の世界への境界なのかも知れません。
伝説によると1200年前、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に鬼の首領、大武丸(おおたけまる)を斬首しこの地に首が落ちたそうです。またアイヌ語のオンネカムイ(大きな神)か鬼首(オニコウベ)の語源になったと言う説もあります。
紫地獄に通じる遊歩道。
至る所で湯気が噴出しています。
鬼首温泉街から北に行くと吹上地獄谷、またその付近に片山地獄、奥の院地獄、荒湯地獄、などもあり、この地は江戸時代から湯治場として栄えてきたと言います。地獄が付く地名が多いですが古人はその地熱の高さから地中の地獄の炎を連想したのかも知れません。
鬼首温泉の温質は塩化物泉、炭酸水素塩泉、単純温泉とされます。この地獄谷遊歩道には紫地獄と言うものがあり、名前の由来は不明ですが昔、極楽浄土には湯気の様な紫雲がたなびいているとされ、この場所を地獄谷の中の極楽に例えたのかも知れないとの事です。
確かにこの間欠泉は温泉卵を造れたりでき楽園なのかも知れません。かつてはこの温泉のお湯でお米を炊いたり、山菜のあく抜きをしていたりなどしていたそうです。
翌日、加美町の虎舞が始まりました。かつてこの土地は奥羽山脈からの強風でよく大火に見舞われたそうです。虎舞は火伏せの意味があります。易経の文献に〝雲は龍に従い風は虎に従う〟と言う故事があり虎の威を借りて風を鎮め、火伏せを祈願したのが始まりとされています。
屋根の上の高所でありがら虎の面を被り視界が効かないのにアクロバティックな動きで太鼓に合わせて舞います。一体の虎の体の中には二人の舞い手が入っています。青い空に黄色と黒の縞模様が映えます。
消防団の存在が高所の緊張感を漂わせます。二人の舞い手が入っていると知っていても一体の生き物に見えてしまうのが不思議です。四股の様に重心を落とした体形は安定感を生み体勢を崩さない合理的な体捌きにも見えました。
風を従わせる虎は獣神という神の一種であると思い、しめ縄を巻きアクロバティックな体勢に描きました。タブローに置き換えた時は炎などは消しましたが、黒い雷を体に焼き付け、自分の尻尾を踏みつけていきり立つ勢いを自制している意味を加えました。虎や野生動物はその威圧感から実際の大きさより巨大に見えるのが不思議です。今回の作品もサイズが大きい事から大舞虎と題名を付けました。