TOMIYUKI KANEKO
金子富之
―三峯の神々―
幼少時、子供向けの未知動物の本で日本狼の存在を知りました。また夜道、後をぴったりと付けて来て、もし転んだりすると食い殺されてしまう、などと言う〝送り狼〟の昔話を聞いて不気味な存在と感じていました。そして獅子や虎と違い日本固有の神獣あるところも興味深いと思います。
埼玉県の秩父では今だに日本狼の目撃報告が寄せられていると言います。その奥秩父にある三峯神社に狼信仰(お犬信仰)が残されていると聞き、日本狼の姿を制作させて頂こうと明確な目的を持っていた訳ではありませんが、ここを訪れるご縁に恵まれました。
三峯神社は標高1102mに鎮座し狼を神使としています。途中、奥深い山をいくつも越え、霧が漂って来ました。〝熊注意〟の看板が良く出ています。
月輪熊の頭骨。
熊は頭が非常に良く、後ろに下がる時自分の足跡をなぞり同じ位置を踏み、前進している足跡に見せかけ、猟師を惑わせ追跡を阻止すると言います。また食べるものの順番がある程度決まっており最後が人間と言う事です。この牙がある頭骨に皮と肉が数㎝乗って、さらに毛で膨らみもっと巨大に見えるそうです。
道中、ダムの奥に広がる山々の靄や雲の奥を見た時、異界が口を開けている様に思えました。巨大な山の主がゆっくりと巨体を移動させて行く様に見えました。
昭和15年紀伊半島の奥吉野で黒山のような怪物が出現し村人は山仕事が手に付かないほど恐怖した事件があったらしいです。山狩りにより異常に大きい月輪熊が仕留められましたが、その怪物の正体ではなかったそうです。山の主とは人が莫大な水量の勢いを見て恐怖する様な、そんな迫力がある気がします。
三峯山の麓に着くと濃霧に覆われています。参拝の方が霧の奥に消えてゆくのを見ていると本当に神域に入った様な感じになります。
進んでいくと、神様がお現れになり右手を上げました。日本武尊(やまとたけるのみこと)のお姿です。1900年前に東征の時、日本武尊がこの地に伊邪那美、伊邪那岐の二神をお祀りされた事が三峯神社の始まりと言う伝説があります。
神々しい雰囲気があります。三峯山は良く霧が発生するらしく、神々や神獣を靄で隠し神秘性を纏っています。この霧の奥深さなら日本狼も十分姿を隠せるのではないかと思ってしまいます。
ついに狼が姿を現しました。後光が差しています。光線が狼のシルエットを次第にはっきりさせてゆきます。
霧も晴れ、狼(大口真神)の表情もわかります。昔、農家の方が田畑を荒らす動物を食べてもらえる狼の存在が神格化され狼信仰に繋がったのではないかと言われています。狼の頭骨は災いを払う強力な呪物とされます。また前述の月輪熊の頭骨も玄関などに置くと魔除けになると言われています。
三角形のどしんとしたフォルムで日本的な造形だと思います。これは下腹の丹田の力を意識する昔の日本人特有の感性が生み出したものなのかも知れません。
狼は群れで行動しますが、一匹狼と言う言葉があります。狼が群れを離れると言う事は生命の危機を意味し、狼の遠吠えは自分の存在を仲間に知らせまた群れに入るためのものであると言います。その他には縄張を知らせる為でもあるそうです。狼の群れでの関係性は完全な縦社会でそれぞれの役割や獲物の食べる部位も決まっているそうです。
三峰神社の本殿は極彩色で金色の装飾が光っています。現代ではしっかり絵具を定着させてあると思いますが、この極彩色を昔、職人が岩絵具で着彩していた事を考えるともの凄い労力だと思います。膠で顔料を木に塗っても恐らく数年経つと剥がれて来ると思います。瞬間の美というか儚いものを感じます。
主祭神は伊邪那岐尊と伊邪那美尊の二神で御利益は夫婦和合、五穀豊穣、家内安全、火難除け、盗難除け、などがあるそうです。
龍が水を吐いた彫刻が見えます、この様な形態の装飾はアジア圏で良く見かけます。水の所が象の鼻になっている時もあります。カンボジアではマカラと言う怪魚がこの形を取っているものが多かった印象があります。
翼の生えた飛龍です。一般的な龍よりは少ないですが稀に飛龍の伝説があります。飛龍は前足が翼と一つになっており、西洋ではワイバーンと言う姿の似ているドラゴンが伝わっています。飛翔能力に長けていて、翼があることから構図次第ではそれが〝華〟になると思います。
龍神が浮き出ていると言う石です。赤い眼をしていて嘴が付いている様にも見えます。龍は水神のせいか柄杓で水を掛けると良いそうです。
参拝の帰り道、起伏に富んだ山々を見ながら狼や熊は精神的にどんな意味を含んでいるのだろうかと疑問を持ちました。それは動物をシンボルとして認知する世界によると、狼は命を危険に晒す自然の畏怖、恵と破壊を与える自然の象徴。熊は荒々しさ、根源的な力、悪魔の一面、母性の象徴とされる様です。また北米の先住民において狼は熊と敵対する存在として考えられる事もあるとします。
明確なイメージは得られたのでしょうか。なかなか日本の神獣、神様のイメージが思い浮かぶ方向に脳が機能してくれません。イメージ、連想が海外のものに飛躍してしまいコントロールが効かなく、それでも二つのイメージが連想されました。それはフランスの魔獣ジェヴォーダンの獣とカムチャッカの神熊アークエムです。想像力はどうも自分が持っている要素のものしか反応しない様です。
18世紀のフランス、ジェヴォ―ダン地方に出現した巨大な狼の様な魔獣、ジェヴォ―ダンの獣。幼少時に読んだ黒犬獣プーカの話と重なり、そのイメージの種は幼少時に植えられていたらしいです。
カムチャッカ半島の普通の樋熊の二倍の大きさを持つ神の熊と呼ばれているアークエム。アクトゥーザサイムスと言う古代熊がその正体と言われていますが未確認の生物です。このドロ―イングは熊の元型は留めていませんが、その対象物に思いをはせ高揚感を感じた時、想像力が働く様です。
日本狼のイメージの種は植えられて無かったようですが、今回の三峯山の取材も見たり感じたものが想像力、イメージの種や切っ掛け(トリガー)となり数年後、何かのビジョンとして意識上に出てきてくれたら何か描けるのではないかと思います。その時、日本狼の制作にまた挑戦してみたく思います。
大口真神のドローイング(小下絵)
それから、少し月日が流れ、狼のイメージを描く事が出来ました。神鹿の様に背中に神様を現す金の円を描きました。まだ大口真神を描かせて頂こうと言う思いにはなりませんが、いつか魔除けとしての大口真神の図像を描いてみたく思います。