TOMIYUKI KANEKO
金子富之
―山姥と大蛇伝説―
赤茶けた山肌の見えるこの土地には数々の伝説が残っています。集落のシンボル的な場所に山の神神社があり、そのご神体は女性の子宮の形をした石で新潟の弥彦神社から飛来したものだといいます。一般公開はされていません。
山の神神社。守り神として信仰されています。
この地区の銅山は江戸初期には既に採掘が行われ、金銀銅などが採取されました。昭和42年まで産出されていたが47年に閉山となりました。
鉱山での仕事は危険で死と隣り合わせのものだったらしく、鉱夫達は当時としては高額な賃金を貰っていましたが、いつ死ぬか解らないのでお金を貯蓄せず派手に使ってしまい、〝派手な○○〟と地域のあだ名が着いたそうです。その時代には珍しくカラーテレビがある家が多かったそうです。
大地の力で釜が沸騰している様な山と雲
幼少時、お盆には山の地獄の釜の蓋が開き死者が戻ってくるなどと聞かされましたが、こんな情景を見て古人は想像力を豊かにしたのかも知れません。仏教系の伝説では浄海坊(じょうかいぼん)という塚がこの地にあり毎年一回祭礼が行われています。浄海坊が何者なのかは村人の誰も知りませんが、かなり昔からあったようです。塚にある石碑には菊花紋がある事から、身分の高い人が葬られているのかも知れません。
同地で栽培されたカボチャ。謎のひっかき傷があり熊の仕業ではないと言います。どんなものが引っ掻いた傷かと想像が膨らみます。近隣の峠には山姥(やまんば)が住んでおり、良く集落に肉を売りに訪れました。その肉には人の爪が混ざっていたそうです。
雲が立ち込める峠。霧の奥より山姥が時より肉を売りに訪れると言います。
山の神はお産の神様としても知られ岩手県遠野市では山の神がおいでにならないとお産が出来ないと言う信仰があります。山の神は山母(やまはは)であり、山姥(やまうば)と変容し異形のもの妖怪としての山姥(やまんば)としてこの地の伝説の一部として転化したと考えれば不思議ではありません。
また山中に山賊の住処があり山賊の足跡が今も残っています。50年の間、誰もこの足跡を取材に行かなかったと言います。そこには大蛇が潜んでおり、現代では廃校になってしまいましたがかつてこの地区の分校の先生をされていた彫刻家はその大蛇伝説を四枚の版画で表現しました。現在ではその中の一枚が紛失してしまいました。巨大化した青大将は主(ぬし)とみなされ殺してはならないとされます。天井の梁からぶら下がり良く村人を驚かせたそうです。
山賊の足跡。40㎝はありそうな巨大さ。
何百年も人が生活できるという事はそれだけ土地のポテンシャルが高いと言う事だと思います。各土地々々にはその場特有の地霊や精神風土が横たわっており、その霊的風土は様々な妖怪や精霊、神々を幻成、影現させます。時にはバチヘビ(ツチノコ)の様な未確認生物を生み出す土地もあり、中には滝太郎(巨大魚)の様に実在するものもあるそうです。
妖怪や精霊、神々などの元型(アーキタイプ)は古い祠や岩、巨木などの暗示的象徴を見せる事で人々に情緒や畏怖、好奇心をかき立たせます。その〝場〟の呼吸力はまだ見知らぬ異郷へ心を感応させ、訪れる者を誘い込みます。人の数だけ見えている世界、宇宙が違い、共通認識で山や里の情報空間が出来上がり、やがて物語が生まれます、土地の力や風土、取り巻く環境が人に大きく影響しているのだと思います。意思の力で何かに抗い続けるのは至難の業です。しかしある環境の中に入ってしまいそれが普通になってしまったら自然に出来るものなのかも知れません。人間性を造る大きな要因は環境なのだと思います。