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​―野荒しの虎伝説―

 埼玉県比企郡に安楽寺に野荒しの虎の伝説が残っています。「昔々、ある時どこからともなく一匹の虎が現れ、田畑を荒らしたり家畜を襲ったりして暴れていた。そこで村人が総出で虎狩りを行い虎の足を槍で突いた。虎の力は強く取り逃がしたが、血の跡を辿っていくと安楽寺まで続いていて本堂の欄間の虎の彫刻の足に傷があり血がついていた。」と言うものです。

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  岩殿山安楽寺は1200年前、行基菩薩がこの地に聖観音像を彫って岩窟に収めたことが始まりとされて、その後平安時代初期に坂上田村麻呂が堂宇を建立したとされています。本尊は聖観音菩薩で吉見観音とも称されます。また、関東八十八カ所霊場の一つになっています。近隣には埼玉古墳群があり古代東アジア古墳文化の最終着点でもあります。この地は古くから大勢の人々が生活し人を生かす活気がある土地の様です。

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  安楽寺の仁王門の梁は緑色の鬼(天邪鬼)が支えています。天邪鬼は良く四天王に踏みつけられているユニークな姿が有名です。天邪鬼は皆と逆の事をするへそ曲がりの鬼ですが、もとは天若日子(あめのわかひこ)が八年も天照大御神からの葦原中国を平定する務めを果たさなかった事や天佐具女売(あめのさぐめ)のシャーマン的な能力が後に心を読む悪戯をする鬼へと変化していった事がアマノジャク(天邪鬼)になったという伝説があります。

 

  数ある彫刻の中から何故虎だけが抜け出したのか、昔話の一休さんが絵の中の虎を縛ろうとした話など虎が絵や彫刻から実体化する話は昔から良くあります。これは平安時代に存在した宮廷画家、巨勢金岡の描いた馬が絵から抜け出して田畑を荒らし、絵の中で縛ったら悪さをしなくなった話が基になっていると思われます。金岡は唐絵の画風から脱し大和絵を確立した画家の一人です。大和絵は現代の日本画の基の一つでもあります。

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​ 境内は明るい雰囲気です。優しい感じの暖色の丸い光が場の気を表現しているかの様です。参道にある〝よろずや〟では厄除け団子を食べ厄落としが出来る様です。何かの行為や場の力を借りて自己に肯定的で安定した精神状態キープ出来るよう能動的に動き、実感する事が大事な様です。

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 この地域では象や獅子などの神獣の眼を緑に着彩するのが特徴のようです。草の汁を眼に差されてまどろむ様な渋い感性が怪しく光ります。

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 打って変わって安樂寺の本堂は千社札が無数に張られ思いの集積が感じられ荘厳で重々しい雰囲気があります。この本堂の中に野荒しの虎がいます。何百年もの思いの積み重なった場は人々の意識を変容しやすい場に徐々に変化していくのだと思います。

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​ 虎のドローイングイメージ。無意識からのメッセージ性の高い夢の世界では虎は、力に満ち溢れた状態、感情の高ぶり、強い本能的な衝動、名誉と権力などを現わしている様です。躍動感のある力強い虎が夢に現れた時は気力、体力とも充実を現わしている潜在意識からのメッセージなのかも知れません。

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​左甚五郎作の野荒しの虎。

 左甚五郎は日光東照宮の眠り猫で有名です。思ったより小さく感じましたが、白い着彩で中国の四神の白虎(びゃっこ)を想起させます。確かに後ろ足に傷があり槍で突かれたリアリティを感じさせます。

 制作にあたり、特徴である肩の渦巻き模様や田畑で暴れた荒々しさを表現できればと思い正面構図とし、また槍の傷を足に付け足して表現しました。また中国の将棋の駒に白虎があり昇格すると神虎になるとされ、この神虎も野荒しの虎の連作としました。明確なイメージを形づくる脳の働きはスポーツの〝ゾーン〟と同じで心と体がぴったりと一致した状態の時だと思います。その集中力を能動的に造れる事が毎日コツコツ描けるポイントだと思います。

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