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―カメムシから神虫へ―

〝虫〟身近な存在でありながら、あまり注視されない存在だと思います。苦手な方からは嫌われる事もありますが、意識を向けてみると〝虫の知らせ〟を聞き取れるかも知れません。

 東北の山奥のこの地では春と秋、年に二回カメムシに悩まされます。雪、寒さ、杉花粉、カメムシと山間部の限界集落で制作活動を行う者の定めとして受け入れるしかありません。

 カメムシ。独特の臭気を放ちます。冬眠の為、絵の梱包に潜り込んで来るのは本当に困ります。音も無く忍び寄るその匂いは家猫まで嫌がります。

 凍てつく氷柱。この氷柱を下から見上げるのは危険行為です。冬場は制作に使う膠がすぐゼリー状になってしまします。またアトリエの床がコンクリート張りなので底冷えがします。防寒着を着ていても地の底からの冷気で凍えます。

 冬場は冷蔵庫の中の方が温かいという不思議な現象が起こります。冬は膠が使いづらいので、岩絵具を多用せず水墨や水彩を主にしたりなど自然に逆らわないほうが良いのだと思います。

杉の花。

 花粉症で集中力を奪う杉花粉。車のフロントガラスにうっすらとオレンジのスギ花粉が付いている所を見ると、山間部の杉花粉の濃度が高い事が解ります。

 深夜、制作の息抜きに散歩をしていると。外灯に照らされた夜道で親子と思われる二人の影がうろうろしているのを見ました。怪しげな雰囲気でしたが外灯の下に良く集まるクワガタやカブトムシを探していたのだと思います。

 クワガタやカブトムシだけでなく、バッタやカマキリ、蝶など多くの虫を身近に見ることが出来ます。山奥の虫は町で見かけるよりサイズが大きいものが多いです。日本の虫の伝説を見てみても巨大な虫が伝わっています。昔から人々の心の中である程度の意識の範囲を占めていて今より身近なものだったのだと思います。

化け熊蜂。東京絵入新聞 明治14年6月15日に掲載

(明治妖怪新聞 P130より引用 湯本豪一著 発行者:三浦拓 発行所:柏書房株式会社 1999年発行)

 化け熊蜂は6尺3寸(189㎝)体重16貫(約60キロ)あったとされ、猟師によって仕留められたと言います。

 最近干した布団に付いた足長蜂を布団と一緒に取り込んでしまい、就寝時、足を刺された事がありましたが、目が覚めるほどの痛さでした。

飛騨の大百足。

(未確認生物FILE P88~89より引用  発行人;大澤徳一郎 発行所:株式会社大洋図書 2006年発行)

 嘉永元年、飛騨の山奥で大ムカデが出現し人を食べるので北辰一刀流の千葉周作の門弟達によって仕留められたと言います。その大きさは約5m、150㎏もあったそうです。

 家に侵入して来た大きなムカデを殺し、外に捨てて置いた事がありました。そうしたら烏が騒がしく鳴き始め、彼らは周囲の環境を小さな変化も見落とさないぐらい良く見ているようです。

土蜘蛛草紙絵巻の土蜘蛛退治。

(未確認生物FILEP110 ~111より引用  発行人:大澤徳一郎 発行所:株式会社大様図書 2006年発行)

​ 土蜘蛛は中央の勢力にまつろわぬ人たちの象徴だと思います。私の制作するこの地も落人の地らしく、見つかってしまうので鯉のぼりを高く上げないという風習が残ります。

ドイツの足だけの妖怪蜘蛛〝グラト〟

(世界の妖怪図鑑<復刻版>P207より引用 著者:佐藤有文 発行者:左田野渉 発行所:株式会社復刻ドットコム 2016年発行 )

 殆ど足だけの蜘蛛も実際に見たことがあります。世界の妖怪の図鑑に足だけの蜘蛛の記述がありましたが、この様な容姿の蜘蛛は実在すると思います。本の中のファンタジーに現実のリアリティーが追い付いてしまう時があります。

 辟邪絵の中に神虫という邪鬼を喰らう異様な辟邪神を見る事が出来ます。それは蚕の神ですが、昔は養蚕の為、大変重要な虫として人々の生活に浸透していました。私の家にも中二階がありそこはかつて蚕部屋だったと言われています。

オオカマキリ

 この神虫を新しい解釈で辟邪神として描いてみたいと思うようになりました。虫、昆虫の世界も凄まじいものが沢山存在します。〝インドネシアの悪霊〟と言われるお化けコオロギのリオック。恐ろしい容姿の〝レッドアイデビル〟との異名を取るジャイアントテキサスキリギリス。中国の心意拳の一つ蟷螂拳の着想になったカマキリ、その最大種であるオオカマキリは鼠や雀などまでも捕食すると言われています。

 猛毒の蠍、ジャイアントデスストーカー。その刺された痛みは蜂刺されの100倍と言われる耐えがたい痛みとされています。

 聖書やコーランにもその蝗害の記録が残り、今も人類に大きな損害をもたらすサバクトビバッタ。強烈な存在感を持つ虫が多数存在します。

ウマオイ。小さくても足の棘が捕食者である事を感じさせます。

羽を痛めたアゲハ蝶

 猫やカマキリに襲われたのでしょうか。残された力で生きるしかありません。人間もある事情で可能性を狭めた時、それはマイナスの様に思えますが、進む方向が限定され、そこを行くしかないのでより集中した歩みが出来る場合があると思います。

 バッタの意を読ませない表情は不思議な目鼻立ちのバランスです。同じ種類でも環境によって色が、緑や茶色に異なって来る様です。人間も住む場所や環境によって進む道、会う人が変わって来る様です。

 バッタの様な虫にその顔に何か異様性感じているのではないかと思い始めました。良く見るとその真意を読めないような恐ろしい顔をしています。魔を退治する辟邪神、神虫とバッタ。その関係性で一つの戦士が思い浮かびました。

 漫画の王様、石ノ森章太郎氏の仮面ライダーです。幼少時、仮面ライダーを見た第一印象がなんと恰好の悪いデザインだろうと思いました。最初の一案として骸骨の顔もあったそうです。

バッタ男などの石ノ森氏のイメージ

(仮面ライダー超全集BLACK・RX P100より引用 発行所:小学館

 印刷所:共同印刷株式会社 編集兼発行者:田中一喜 1989年発行)

 それはバッタの改造人間で初期のライダーは怪奇性を伴うものでした。天才的なコンセプターとしての石ノ森氏の感覚を持ってすれば子供に好かれるデザインは出来たはずなのにバッタをモチーフにした理由はバッタにその異様性を感じたからだと思います。格好良さよりグロテスクな作家性が強いバッタの顔を選んだその世界観は、どこかに一生拭えない悲しみを背負った人間像を思わせます。

石ノ森氏の怪人のデザイン。

(仮面ライダー超全集BLACK・RX P98より引用 発行所:小学館

 印刷所:共同印刷株式会社 編集兼発行者:田中一喜 1989年発行)

 仮面ライダーBLACKの対となるブラック・サンやシャドウ・ムーン、光に戦いを挑み散っていく悪の怪人たちは善悪二元論で揺れる世界の投影である様にも思えてしまいます。

 その光と闇は遥か太古のオリオン対戦(スペースオペラなども)をも連想させ、宇宙的な課題と広がりを感じさせます。

石ノ森氏による神殿や神官のイメージ。

(仮面ライダー超全集BLACK・RX P101より引用 発行所:小学館印刷所:共同印刷株式会社 編集兼発行者:田中一喜 1989年発行)

 神殿内部や神官の衣装の下のデザインに石ノ森氏のセンスが光ります。怪人(異端、異能者)に光の当たらない世界で生きる者の苦しみや悲しみを重ねてしまいます。

 挿入歌のブラックホール・メッセージにある〝デーモンの都が栄えた試しはない〟や主題歌にある〝支配したがる魔術師(マジシャン)、怪しげなエスパー(超能力者)〟などの歌詞の部分に、異端、闇に対してもある種のリスペクト、温かな眼差しが送られている様にも感じ取れます。

 私のアトリエの近くの側道をツーリングのライダー達が良く通ります。改造人間でなくおじさん達ですが、そのバイクの音で野生動物達が逃げてくれるので獣害が少し緩和され有難い事です。

 バッタ、キリギリス系の昆虫で一番、迫力ある禍々しい外見をしているのが前述のジャイアントテキサスキリギリスだと思いました。このキリギリスを辟邪神、神虫として新しいイメージで描きたい。そんな創作意欲が湧きました。

巨蝗神虫、ドローイング(小下絵)

 辟邪神は魔を払う神なので、恐ろしい容姿をしていも不思議はありません。バッタやキリギリスの異様な顔の感じを参考にして魔を払う神様の虫〝神虫〟を想像で描いてみました。〝レッドアイデビル〟の異名と取るジャイアントテキサスキリギリスをベースに、昔から伝わる神虫は〝蚕〟なので腹や頭の上に蚕を付け加えました。

アトリエの窓から見える鉱山。

 今回、描かせて頂いた神虫はオレンジの色が多用されている様にも思えます。アトリエの窓から廃坑になった鉱山が見えるのですが、山肌が赤く錆びた様なオレンジ色をしています。知らず知らずの間にこうした風土から影響を受けてしまったのかも知れません。

 数十年前この鉱山で轟音と共に落盤が起き山頂付近から土煙が上がった事があったそうです。それを見た集落の方々は、怪獣でも出て来たか…。と呑気な冗談を言っていたそうです。

巨蝗神虫、制作風景。

 その土地の風土が紡ぎ出す長い長い物語と比べたら私の制作活動はその小さな片隅の一ページに過ぎませんが、こちらの働きかけ次第では面白い風土との反応が起こると思います。様々な所から、昆虫、バッタなどの制作の要素を頂き作品を完成させる事が出来ました。その反応の種を色々な所から採取し、風土を使って実らせて頂くのが郷土の制作法の一つだと思います。それぞれの土地に巨大な作品を創造する種と養分が惜しげもなく横たわって発酵していると思います。

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